スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
お久しぶりです、
のがみーる、改め、みーると申します。
少し前から、Twitterの感想でのがみーるだと少し文字数が多くて、がんばって押し込む作業をしていたのですが、名前短くすればよかったんですね。笑
今度からみーると名乗ります。
まぁ、名前が変わったことなんて気づいてない人がほとんどでしょうけど。笑
まぁ、よろしくお願いしますね。



さて、今年も来ました、恒例の夏の宿題。
そしてこの時期私にも恒例のものがありまして。まぁ昨年からなんですが。劇団クロジさんの舞台を観ることです。
昨年ですね、劇団クロジさん(http://www.kuroji.jp )の「パビリオンの星空」を観に行きまして、1度観て世界観に魅了され、気づいたら楽日のマチネの当日券並んでました。笑
今年もそのクロジさんの15回公演「きんとと」を見に行きました〜。
今回はチケット最初から2枚取りましたよ笑 おかげで2回目は冒頭から泣きそうになるのを堪えていました。
お隣はだいぶ先読みの泣きをされていましたが……笑

昨年はパビリオンの星空はTwitterで感想いったのかな??でも、個人的に耐えられず、レポート用紙3枚分のレポート描いてました。笑
大学の課題でも3枚なんてめったに描いたこと無いのに。笑

なので、今回はブログにしよっかなーと。

さて、お芝居のあらすじを簡単に言うと、娼館で生きる遊女と男娼、その娼館に訪れる人の鮮やかで醜く、でも美しい愛と欲望のお話。

では、つらつらと感想載せてますね。一応、ネタバレはしないよう心がけますが、もし気になる方は読まないように…気になった方はクロジさんの来年の公演も決定してるみたいなので、ぜひ一度観て観て下さいね。
きんとと

とある時代、とある場所にある、娼館で巻き起こる、自分の存在を認めて欲しいというシンプルな欲望とそれぞれの希望のお話。
本当に自分は存在しているか、不安になる。
皆一度はこんな不安感じたことあるのではないだろうか。
それが娼館という地獄では、さらに恐ろしい恐怖となっているように感じた。


人それぞれ「無い」ものがあり、その「無い」ものを持つ人間もいる。そして、そのことを妬み、その人自身が憎らしく思えてくる。
でも、その人は他の人に妬まれている。籠の世界は世界が狭い。
でも、皆外の世界では生きられない。その中で人は希望を見出してゆく。ある人は、買われることを、ある人は、姉という存在。ある人は愛する人を。ある人は、、

そんななか、バランスを崩し出すと一気に関係がこじれてゆく。
自分の欲に目がくらんで、気づけば自分の愛する人を傷つけている。

綺麗な金魚は多くの人からあいされる。黒い小さな金魚は見向きもされない。そんな黒い金魚はただ希望を失うのか、それとも存在意義が欲しくなるのか…。
残酷な世界である。

一番の遊女は買われるが、外からの偏見に耐えられなくなる。
今まで綺麗だ、一番だと言われていたゆがんだ世界と、外の世界との撓みに体も心も耐えられなくなる。そして、自分の過去が存在している場所に今の自分は存在出来ないことをしりつつ、外にでられずにいる。

妹は姉が全てだった。自分の自慢の姉の背中を見て、追っかけることで生きていた。その姉がいなくなると、自分の生きる目的が見えなくなる。眩しい光で目がくらんでいたところから一気に暗闇に残される。姉が自分とは違う世界に行ってしまったことに耐えられなくなったいもうとは姉を創造したかったのだろうか。

末っ子は、何にも知らない、今いる世界はきらびやかにみえた。そんな竜宮城はハリボテで周りから吹き込まれる言葉に金メッキが剥がれてゆく。キラキラと輝いていた灯りは、ゆがんだ現実によって一つ、また一つと消えてゆく。最後に残った光は好きな人に連れ出してもらえるという希望だった。しかし、それすら消えてしまうと、この世界で生きることへの地獄を目の当たりにしてしまう。

雪路はこの世界の地獄に嫌気が指している。毎晩違う人間に取っ替え引っ替えあいされる。そんなのは愛されるとは違う。こんな地獄にいたくない。逃げ出したい。外の世界で生きたい。その歪んだ世界と正常な世界の切れ目には、純粋な愛だったのではないだろうか。「好きな人と外の世界で普通に暮らしたい。」その願望がとても強い人。自分に正直で、そのせいでとても不器用で、でも素直な人。

睦は自分のやけどで狭い檻の中でも無視をされる。じぶんはいるのかいないのかわからないくらい。
しかし、愛が全ての娼屋の空気を吸っていれば、愛が、自分への存在意義が欲しくなる。自分にしか出来ないことが、欲しくなる。
そして、その願望は、さらに強欲になる。「好きな人に愛されたい」
そして、その思いを自覚した瞬間に
自分が醜さに嫌気が差す。外見、中身、過去、全てが嫌になる。変わりたいと思う。
この気持ちは睦に限ったことではない。「こんな自分やだ」と思うこと、1度くらいあるだろう。睦の気持ちが痛いほど共感できた。


萩泉は私には彼が一番わからなかった。ただ、この娼館の中で一番大人に見えた。一番最初、気難しいとかひねくれ者とか紹介されるが、萩泉はわざとそのキャラクターを演じているように感じた。ここで生きて行くにはそういった人間の方が行きやすい。そう思ったのではないか。
自分勝手に見えるが、彼がいる場面は明るく、美しく、鮮やかだ。暗い場面でも、萩泉がいると差し色のように魅力的なシーンとなる。
冒頭、黒ずくめの男が萩泉のことを不思議な人だと言っていた。2回目その言葉を聞いた時、そうか、言葉で語りきれない、幻のような人が萩泉だったのだと思う。


檻自体も縛られている。
娼館を取り仕切る女は元々遊女だったが、オーナーに買われて、いずみやの取り仕切りをしている。
自分を欲する人間と、自分が欲する人間と。


外の人間は、このゆがんだ娼屋に魅了されてゆく。
外の常識が鮮やかにゆがんで、そこに美しさと快楽を感じる。
自分の欲望のまま、快楽を求め続ける。
不思議な魅力に、その本質を知りたくなる。
そのことで傷つく人間もその世界を訪れる。自分の愛する人を知りたいという気持ちから。もっと自分を観て欲しいという気持ちから。自分が愛するだけじゃ嫌なんだ、愛されたいんだ。必要とされたいんだ。自分の存在を認められたいんだ。

シンプルな欲望が、この物語を展開させてゆく、この娼館という歪んだ世界で。


そんなお話しでした。


ここまで付き合ってくれるものづきはいるのでしょうか……?笑
一応ネタバレはしないように配慮はしたつもりです。
ちなみに、舞台美術もとっても凝っているので、それを目当てに観ても楽しめると思います。娼館に迷い込んだような気持ちになれます。

興味を持ってくださった方は、来年DVDが出ると思いますので、そちらで……。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください